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ブランドディレクター 中山 千明 さん

ブランドディレクター 中山 千明 さん

北九州市立大学に在学中に起業をした中山さん。そこから縁がつながり現在、東京で当時から好きだったというステーショナリーを中心としたプロダクトブランドのブランドディレクターを務めています。学生時代の起業から就職、移住までの濃密な時間。これまでどんな想いで、どんな道を歩んできたのかを教えてくれました。

どんなことも受け入れる器があるまち。だから、思い切ってスタートする人が多いと思う。

ー在学中に起業されたと聞きましたが、どんなお店だったんですか?

昔からデザインされたものやクラフト製品、ステーショナリーが好きだったんです。在学中に開業したお店は、自分の好きなものをセレクトして並べたショップでした。名前は「C&MI LLS」といいます。Cは私の名前の頭文字でもあり、クリエイター、クラフトやクリエイティブなどの意味を込めて。MILLSは、製作所という意味があります。私自身も絵を描いたり、モノづくりが好きなので。2017年の6月に上京するまで、ちょうど3年間やりました。

ー起業は難しそうに感じます。特に、学生時代の起業、開店は大変じゃありませんでしたか?

普通は、そうですよね。でも、当時は無知だったのでできたのかも知れません。怖いもの知らずというか。実は、大学生の頃は就職活動もしていたんですよ。「この会社に落ちたら、就活はやめる!」と意気込んで挑んだ採用試験に落ちてしまって、そこで踏ん切りを付けて起業を目指しました。
最初は、ビッコロ三番街という商店街と商店街をつなぐ建物の中で開店しました。とても安い家賃で開店できる1.5坪のチャレンジショップのような場です。当時は学生だったので、大学で授業を受けている時間は向かいのお店の人に店番をしてもらったり、いろんな人に支えられてショップを運営することができました。それからビッコロ三番街に直結しているメルカート三番街に少し広い店舗を構えました。メルカート三番街は、古いビルなのですが、文化芸術創造を目的に、クリエイターや商店主のための拠点づくりや支援が行われている場所です。
起業が大変というよりも楽しいと感じていたのは、このような支援やあたたかい人のおかげだと思っています。

ーそんな時代を経て、現在、東京で働いていらっしゃいますがそれまでの経緯を教えてください。

現在は、「パピエ ティグル」というパリ発のステーショナリーを中心としたプロダクトブランドで働いています。パピエティグルは、C&MILLSでも取り扱っていたブランドです。
そのオリジナル製品が好きなのはもちろんなのですが、働く人たちがフレンドリーで仕事熱心なところが当時から好きでした。C&MILLS時代に、最初にパピエティグルとやり取りをした頃に、手帳に「この人たちと一緒に仕事がしたい!」と書いていたほどです。そんな縁で、パピエティグルが日本でのショップを東京で立ち上げる際に、声をかけてもらい、就職、上京に至りました。

ー北九州を離れることに、寂しさや不安はありませんでしたか?

大学時代に留学を経験したり、買い付けで海外へ行っていたりしたこともあり、周りからは「いつか出ていきそうだよね」と言われ続けていました。そんな性格なので、寂しさよりは期待のほうが大きかったように感じます。きつかったのは、上京した最初の頃ですかね。東京は北九州と違って時間の流れが早い感じがして、いつも疲れていましたね。満員電車も苦手でしたが、今はなんとか慣れました。
現在は、ブランドディレクターとしてイベントの企画やコラボ商品の開発などさまざまな業務に携わっています。北九州に本社を置くシャボン玉石鹸とコラボした商品は、とても好評でした。東京にいながら、北九州と関わる仕事もできていることをとても嬉しく思います。

ー学生の方やこれから起業を考えている方々に、北九州をオススメするポイントはありますか?

北九州の小倉という地区には、小倉城があります。歴史あるまちのシンボルですが、その隣には先鋭的なデザインのリバーウォークという商業施設があるんです。そんなまちなかなかありませんよね?ごちゃ混ぜ感というか、雑多な感じというか、どんなことも受け入れてくれる大きな器がまちにあると思います。新しいことをはじめる人も受け入れ、疎ましく思うことがないんじゃないかな、と感じます。私が開店したように家賃が安い場所も多いですし、古いけどリノベーションした雰囲気のある建物も残っているので、本当に新しいことをはじめやすい土地だと思います。
また、ここ最近は一度北九州を離れた30代くらいの人たちが地元に戻って来ているようです。そんな人たちがまちを舞台に新しいことをはじめると考えたら、ますます北九州から目が離せないと思いますよ。

ブランドディレクター

中山 千明

北九州市立大学在学中に、小倉北区で雑貨店をオープンする。大学卒業後もショップオーナーとして活躍。3年という区切りで閉店し、就職。それと同時に上京。就職先は、小倉時代から取引があったパリ発のプロダクトブランド「パピエ ティグル」現在は、ブランドディレクターを務め、北九州の企業や日本のメーカーやブランドとのコラボなどをプロデュースしている。